きょう4月17日、今年の中学入試で出題された本で、教室の貸出用図書に無かったものを、神保町の三省堂で購入してきた。
重松清「きよしこ」
西加奈子「さくら」
森詠「少年記=オサム14歳」
養老孟司[いちばん大事なこと=養老教授の環境論」
佐藤多佳子「サマータイム」
小川洋子「博士の愛した数式」
梨木香歩「西の魔女が死んだ」
日高敏隆「春の数え方」
角田光代「キッドナップ・ツアー」
などなど・・・である。
これらを、受講生たちが読んでくれれば最高である。
しかし、受験勉強に追われている彼らの日常生活を考えると、実際はさほど期待できない。
受験勉強の中でこれらの文章の一部に触れたことが、入学後にその本を読み通し言語生活をゆたかにすることの「きっかけ」になれば、それで十分であろう。
(もちろん、私は全部読んでいます。)
また、正直言ってこれらの本を読んでいることと、入試での出来不出来は、ほとんど無関係である。
それよりは、「設問で要求されている発想」を身につけること、そして
「事務処理の安定性」を高めることの方が、合格にはずっと重要である。
このことに気づいているのが、150人以上の中学受験生を、1対1、なおかつ、高い授業料をいただいている、という逃げ場のない状況で指導し続けてきた私(とウチの先生方)だけである以上、私の教室の受講生は、これからも中学受験に合格し続けるのである。(やけに強気)